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自分の芯を持つとは?自分の感覚を信頼して自分だけの芯を持つ方法

・生き方
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自分にしっかりとした芯を持つ

どうやったらそうなるのかと意識した覚えはないけれど「芯のある素敵な人」に憧れる気持ちは常に持っていたような気がします。いつの間にか自分にも、誰にも譲れない思いは、はっきりしてきました。

これが「」というものなんだろうと思います。

「芯」があると、迷うことがだいぶ無くなりますし、問題にぶつかっても何かしらの自分なりの答えが見えてくるようになります。

 

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自分の芯を持つとは?

 

「自分に芯を持つ」とは?

  • 一貫した、揺るぎない思いを持つこと
  • 自分の心の中心の軸にしている部分を持つこと
  • 軸となる部分を認識して表現(行動)していくこと

以上の3つは、誰にでも共通していることだと思います。

 

「自分の芯とは?」と言われれば

  • 自分がしたいことというよりは、これだけはしたくないこと
  • 何を大切にしていくのか
  • どのように何を表現していくのか

私の場合には、このようなことです。こちらは、個人の考え方によって異なるかも知れませんね。

 

自分の芯を持つまでにしてきたこと

 

「誰にも譲れない思い」がしっかりと固まってきた今、ちょっと振り返ってみると、その思いを強くするきっかけや、元となったことが思い出されます。

その時にはすごく悩んできたというよりは、感覚的に「コレでいいんだ」と思った方へ決めてきた感じです。

「コレがいい!」という自分の感覚が信頼できるようになるまでには、今まで選んできたことと今、選ぶことを照らし合わせて共通点を見つけ、一貫性があるかどうかを確認しながら進んできました。

知識が足りていない、視野や考え方が狭すぎるなど、未熟な状態から少しずつ見えていなかったことも見えるようになって、自分にとって大切なことがよりはっきりしてきました。(まだまだ、知らない、わかないこともたくさんありますが)

まだ、何も知らない子どもの頃から、大人になってからもずっと変わらない部分が2つあります。

  1. お手本のような素敵な人を見つけるのが得意だった
  2. 迷ったときは天秤にかけてみて嫌だなと思うことは極力しないようにする(逆に言うと、嫌じゃなかったらやってみる)

そういった、常に自分の最低限の本質的な欲求に従ってきたことで「芯」がブレずにしっかりとしてきたように思います。

以前よりも自分の「芯」がしっかりと揺らぎないものになってきたのには、思いあたることがいくつかありました。

ここから先は「芯」をつくるために、具体的にしてきたことをお伝えしますね。

 

自分にとっての基準を見つける

 

「料理を作る」ことは、レシピ通りに作ることで、だんだんとコツがわかってきます。

「絵を描く」ことは、立体のものを直接、写生するよりも、画家の絵やデッサンを模写することの方が簡単です。

何もないところから一から全部自分だけでやろうとすれば、ものすごい時間がかかってしまいます。一生かけても目的地のゴールにたどり着けないことだってあります。

「自分の芯をつくる」ことはどうでしょうか?

自分の心に合った苗を撒き、自分の心に合った栽培方法(育て方)をよく読んで、その通りにしてみます。すると、強くてたくましい茎が軸(芯)となって、たくさんの花を咲かせ、やがてそれが実となります。

  • 自分の取扱方法を知って、基準を知る
  • 自分に適したやり方を見つける

このようなことです。

では、自分の基準を見つけるのは、どうすればよいのでしょうか?

 

お手本を見つける

 

「素敵だな」って感じる人やものを見つけましょう。

「素敵だな」と感じる人たちは、元々、生まれた時から恵まれたものを持っている場合と、後天的に備わっていったものがあります。

お手本にできるのは、後天的に備わっていった部分になります。

後天的に備わった才能は、同じ様に努力することで近い能力になることは可能だと思います。

「コレいいな!」と感じるものは、それをつくった人や関わった人に注目していきます。

  • 素敵なものをつくる人たちの考えていること
  • その良さをわかる人たちが思っていること(「コレいいな!」と思う人)

このどちらにも共通するものがあるはずです。それが自分の「」になるんです。

 

私が何か憧れのような、刺激を初めて受けたものはと言えば、小学生の頃からだったかも知れません。

小学生の頃に、もう少し年上の若者向けに発売されていたファッション誌には、大きな刺激を受けました。ライフスタイルやファッション、考え方、モデルなど。全てがキラキラして見えて「こんな考え方や、やり方があるのか」と、ワクワクさせられました。

その頃から、街ですれちがう人や他の人の考え方やファッションにも興味を持ち始めます。

だんだんと大人になるにつれて、良いことと悪いことが世の中にあることを知っていくと共に、見せかけの格好だけではなく、人そのものに興味を持つようになりました。

お手本にしたい「素敵だな」って思える人は、自分らしく表現できているんですよね。

「表現」っていうのは、服装や持ち物、ヘアスタイル、しゃべり方、書き方、行動、立ち振る舞い、ものの選び方など、その人が表していること全てです。

「自分らしく」というのがミソで、ちゃんと自分に似合うものがわかった上で、選択できているんですよね。

先ほどの雑誌のことで言えば、気に入った素敵なページがあったとします。

そのページの配置を考えたエディター、写真を撮ったカメラマン、言葉を入れたライター、モデルを選んだ編集者の人、この企画を引き受けたモデル、小物や洋服を調達するスタイリスト、撮影場所を見つけて決めたスタッフ人などが関わって、そのページとなっているわけです。

それは、その人たちの「芯」の部分が共通していることが前提にあって、その共通した「芯」の部分が見る人にも素晴らしいと感じられるから、人にも何かが伝わるし、その人を動かす力になるんだと思います。

たくさんある中のパズルのピースがバチッとはまったからこそ、私の心を動かす一枚のページができあがっているんですよね。

そう思うと、人を感動させることができる人というのが、私のお手本になっていることになりますね。

その人1人の場合でもあるし、その人を含めたチーム全体の場合もあります。

自分が心を揺さぶられたときに、ふと立ち止まって、相手はどんな人なのかをもっと詳しく知るようにしてみるのはおすすめです。

その素敵な人の見えなかった努力や、気づかなかった行動がわかることがあります。

すると、どこかしら、自分にもできそうなことや、どこを頑張っていけば良いのかが具体的にわかりやすくなるでしょう。(同じ人はいないので、全く同じ結果になることは難しいですが、少し前進した気分になります)

お手本があることで、前へ進む行動のきっかけになるんですよね。

行動しなければ、自分は何も表現していないことと同じです。

お手本を見つけたら、後天的に備わった部分をマネしてみる。行動することで、憧れの人の表現方法を自分で体験してみるんです。

やってみると、わかることがありますよ。

 

自分に合ったやり方を見つける

 

ノウハウは、方法論としては参考になるけれど、同じ結果にはなりません。

顔、形、性格、持っているもの、育った環境や背景など、何かしらの違いがありますものね。

世界にたった一人だけの自分に、ぴったりとあった、やり方を見つけていきましょう。

 

自分だけの感覚に従う

 

感覚は、人それぞれ違います。

この「感覚」は何の準備をしなくても、勉強ができなくても、身体と心が健康であれば、正常に働いてくれる優れもの。

しかも、どれも生まれながらに自分にぴったり合ったオーダーメイド仕様にできている。

つまり、個々の性格や欲求にぴったりと合っている働きをしてくれるんです。

この感覚をどう機能させるかを見ていきましょう。

 

最終的には自分で決めて選択する

 

何かを選択していくために必要なのは、第一に、自分の感覚です。

「何か嫌な感じがする」「ちょっと違う気がする」「何かがおかしい」といった感覚は、まず、信用してよいでしょう。人間にも、動物に備わっている危機察知能力が働いているんでしょうね。

その感覚を鋭くして働かせてあげれば、あまり深く考える必要もなく危険を回避する選択をしていけるクセがついてきます。

自分に責任を持っていて、大切にしているときは自分の感覚は鋭くなります。

逆に

  • 自分以外のことで責任を負わされていて、その覚悟ができていない
  • 人任せにしてしまって、自分の本心に気付けないでいる

このようなときは、自分の感覚は鈍ってしまいます。

正しく危機察知能力を働かせるためには、いつでも自分の心からの本心を大切にし、自分に責任を持つ行動をすると良いでしょう。

「何か違う」と思うことは、その感覚に従って(特に他の理由など無くても)回避するように心がけます。

それ以外のことは、長期的な未来を基準に選択していくようにします。そのときに、思い描いたビジョンがワクワクするようなことであれば、そっちを選択していきます。

自分の考えでは、何の問題もなかったビジョンも、実際に人やものが関わってくる段階に進めると、いろいろと問題が発生してきます。

「もう、これ以上先に進むのはやめた方がいい」という思いが強くなる場合と、「なんとしてでも、この状況を乗り越えたい」という気持ちのどちらかにわかれます。

その判断は、やはり、自分の感覚でしかありません。自分の素直な気持ちに従います。

そういうときって「○○さんに反対されたから」とか「誰かが応援してくれるから」とか、いろいろな人の気持ちを考えてしまうことになるんですよね。

現実に、お金が足りない、時間が足りない、頼れる人がいないということもありますよね。

いろんな判断基準があって迷ってしまうんだけれども、そういったことを総合的に受け入れた上で、最終的には自分の素直な気持ちで決断をします。

頑張ればできそうなことであっても、自分の素直な気持ちで「先に進むのは、やめよう」と思えば、すっぱりとやめます。

ちょっと難しそうだし、問題は山積みなことであっても、自分の素直な気持ちで「よし、やってみよう」と思えるのなら、やってみます。

 

自分のやることに責任を持つ

 

「自分のやることに責任を持つ」というと「何だかすごくプレッシャーがあって嫌だな。失敗は許されないのはつらい」と思うかも知れませんね。

自分に責任を持つことは、誰に宣言するわけでもなく、自分だけが心に決めて行動すれば良いのです。

もし、ペースダウンしたければ、すればいいし、方向転換することがあっても構わないんです。

その先に進んでいってまた問題が生じて迷いが出たときには、やめる決断をしたっていいんです。

あくまでも自分の感覚に従っていきましょう。

他人からの助言や意見を聞くことで「よい方法が見つかった」と思うこともあるでしょう。

感覚的に「嫌でなければ」そのやり方を自分で選びます。(✖「言われたから、そうする」はしません)

その都度、周囲の状況と周囲の気持ち、それを受け入れた上での自分の素直な気持ちで判断していく。このことは変わりません。

 

やりたいと思ったことは 楽しむこと

 

一番最初に就職先を決めたのは、普通に土日に休みがあって、福利厚生がしっかりしていて残業は少なくて給与も低すぎない会社だったからです。あと、自分で稼いだお金で、楽しく自由に生活をしてみたいと思ったから。

進路を考えるのが嫌になって、ちょっと投げやりな感じで始まった就職活動でした。

進路指導の先生に、ぎりぎりになって就職することを伝えて、一緒に探してもらいました。無理なことを言ったのに親身になってもらい、無事、就職先が見つかったのもその先生のおかげです。

初めて就職したのは事務職で、そのときは、社会人としてのマナーや服装、しゃべり方、対応などを少しずつ先輩たちに教えていただいて、できるようになっていきました。

入社してからは、教えていただいたこと全てが社会勉強の始まりでした。私にとっては、まるでマナー教室で教えてもらっているようであったり、会社の人や社外の人との接し方のコミュニケーション術を習いに行っているような気持ちです。

その経験は、大人として社会で生きていく上でとても役に立っています。

大変だったことは、通勤時間が長かったこと。知らないことを覚えたり、社内外の人と対応すること。

幸い、社内での福利厚生の部活のようなものもあったために、学生のような雰囲気で休日や就業時間外も楽しむこともできていたおかげで、何とか3年間は、そういった楽しみを糧に過ごせました。

仕事自体が楽しいと思わなくても、残業がなかったり、給与や福利厚生がしっかりしているし、会社の同期も仲が良くとても良い会社でした。やっていたい生活自分で稼いだお金で、私なりに楽しく自由に生活ができていたんですよね。

 

社会人になって約3年たった頃、事務職として勤めていた会社を辞め、自分で新しいことを始める決断をしました。

「仕事以外の休日を思う存分楽しむ」という生活を自分にとっては十分に経験をし満足していました。

遊びやレジャーなどは同じようなことをくり返していると、楽しかったことも当たり前になってしまって、楽しくなくなってしまうんですよね。

自分にとって興味があることの課題が残っている状態が一番、生きがいを感じられるのかも知れませんね。人生の残りの時間で別の興味があることに全力やってみたい欲求が、強くなっていったんですね。

人によっては、のんびり暮らしたい。ずっと好きなものに一筋でやっていきたい人もいますよね。

私の場合、のんびりするのも好きだけど「知りたいことがたくさんある」気持ちの方が強いんだと思います。

ここでも自分の感覚に素直に従ったわけですね。

何も実績もあてもなく、周囲の人に相談すれば「なぜ?」というような行動でしたので、とにかく先に自分の中でどうするかを決めました。

そこからは、この先にうまくいかなくても、誰のせいにもできないし、思うようにいかなくてもできるだけのことをやってみようと。

そうやって、今度はやってみたい仕事にチャレンジするために少しでも専門知識を得ようと、二部(夜間)の専門学校へ通い直すことにしたんです。

その3年間は何とか実家に住まわせてもらい、昼間は飲食店などのアルバイトと課題などをしていました。

そこでもバイト先や学校でたくさんの人と出会いました。学校までの片道約2時間の週3回は大変だったというよりは「新しい経験をたくさんさせてもらった」という思いの方が強いです。

 

ときには、大変だな、嫌だなってこともあります。

そういう気持ちが大きくなっていくと「やっぱり、これじゃない」と確信に変わる瞬間があるんですよね。

その感覚に確信が持てるようなら、その先に行くための別の行動をし始めます。

それまでは多少のことであれば、やってみようと決めたことは、できるだけ楽しんだ方が良いです。

どっちみち、すぐに行動を起こすわけでなく同じ時間を過ごすなら、気分よく過ごす工夫をしてみる。

その方がいい事あります。

 

まとめ

 

「自分の感覚を信頼して自分だけの芯を持つ方法」は、私が感覚で判断するのがやりやすい方法だったからよかったのだと思います。

具体的な方法は個々で違いますので、ぜひ、自分に合ったお手本となる人と、やりやすい方法を見つけてみましょう。

そして「自分の心の中に『芯』の基礎となる部分をつくっていく

そんな作業から始めてみましょう。

「気になる人」を見つけて、その人がどういう考え方で動いているのかを知るようにします。その人の考え方や行動に共感できるようであれば、お手本にして行動してみましょう。

その人の尊敬できる考え方やしぐさや行動を実際に自分なりに同じように表現(行動)し、自分が大切にしてきた変わらぬ思いを貫いて(筋を通して)行動していくと、それが「芯」の部分になっていきます。

「大切に思っていること」「これだけは、譲れないこと」

自分の「感覚」は自分の本質にあったセンサーのようなものです。

身体と心を健康保つことをこころがけ、いつでも抜群のセンサーで身の回りの情報を判断していきましょう。

それからもう一つ。感覚に気づくだけ、思うだけでは無いのと同じです。

その思いを行動して表現していきましょう。

それでやっと、自分のものとなるんです。

それが自分にとっての「」になるんですよね。

自分の「」を持つことができると、もう選択することに迷いはなくなりますよ。