「これが好き」「これは嫌」と、主張でき行動できるようになってくると、自分の「芯」らしきものが見えてきます。
自分が大切にしたい部分を変えずに貫いて行動していくことで、自分の芯をもつことができます。
その先には、その「芯」を強く揺るぎないものにする大切なことが3つあったんです。
その3つのキーワード「強く」「しなやかに」「軽く」についてお伝えしますね。
固いだけでは芯では折れやすい!本当に強い心を持つために大切なこと3つとは
「しなやかで軽やかな芯が強い人たち」なら「どうするだろう?」と自分にとってお手本となる人たちを見てきて、思うことがあります。
自分の芯をもつだけではなく
「強く」「しなやかに」「軽く」
という、この3つのキーワードが共通して浮かんでくることです。
実は、この3つは「自分の芯」を強くするための大切なポイントになります。
芯が固いままだといつか折れてしまうことだってあります。
芯がある人=自己主張の強い頑固な人
こういったことがあるからです。
しかし「しなやか」で「軽さ」がともなえば、どんな逆境になろうとも、折れることはありません。
どんな障害がぶつかってきても「しなやかさ」で受け止めることもできます。
また「軽さ」があれば、身動きがするのが軽くなり自分への負荷を減らすことができます。
まさしく柳の木の枝のように強風に逆らうことなく、柔軟に受け流すことができる感じです。
強風を人間関係や人生に当てはめると、逆境や困難、苦手な人などといったことになります。
自分の気持ちに折り合いをつけて、上手に人を関わっていく術を持つことが大切なんですよね。
「強く」
自分に芯があっても、もろくこわれやすいのでは困ります。
芯を強くするためには
- 中心はブレずに、変わらないで一貫していること
- 自分に責任を持つ
このように「しなやかで軽やかな芯が強い人たち」を見ていて思いました。
粘り強く諦めずにやる
「これ、難しい」「なかなか、先に進まない」
こういうことは、私にも よくありました。
でも、やめないんですよね。この理由のときは。
「しなやかで軽やかな芯が強い人たち」を思い出します。「その人たちならどうするだろうか?」と。
困難なことがあれば、休憩したり寄り道したりしながら、粘り強く自分にできそうな策を練ります。
「やめる」の判断基準は「好きじゃない」「やりたくない」と思ったときです。
欲求に惑わされず長期的に考える
何かを選択するときには、なるべく長期的に先を見て決める。
つい目先のことにとらわれてしまいがちな感情をグッと抑えて、辛抱強くなり、その先を見据える。
その短絡的な欲求に惑わされない強さは、ぜひ身につけたいものです。
「しなやかに」
「しなやかに」と言えば、風に揺れる柳の枝が思い浮かびます。
どんな強風が吹こうが、折れたりすることなく、風に抵抗することなく身をまかせ、優雅に楽しんでいる柳のようです。
「しなやかで軽やかな芯が強い人たち」にも、同じような光景を見ることができます。
物事に柔軟に対応していくことを意味しています。
自分もそうでありたい。そう思い、具体的な方法を試しています。
他人に批判されることを気にしない
私が2番目に就職した会社では、企画職として入社しました。
社員は15名ぐらいの会社で、企画職としては社長と自分を含め3~4名でした。
最初の1年ぐらいは、雑用や、社長の企画のアシスタント的なこと、グラフィックソフトでのオペレーター的な仕事で、自分で考えた企画を提案する仕事を任されることはありませんでした。
その会社の流れや仕事のやり方を知ることの方が先だと、社長は思っていたのでしょう。
入社して1年ほど経ったぐらいから、そういった仕事の合間を見つけて時折、社長の仕事の切りがよさそうなときを見計らって「描いたものを見てください」と自分が描いたデザイン画を見てもらうことをしていました。
提案した企画は、結局は「現実的でない」か「社長自身が気に入らない」と、企画として通りません。その間は、何回も相手にしてもらえない状態なわけです。
「今回も社長には興味なしかぁ」ということをくり返しながらも、自分の描いたものが嫌になることはありませんでした。
「これは作れそうだし、売れそうだ。他では、なかなか作ってこないだろう」と思わせる自信がある企画を提案できれば、きっと大丈夫だと信じていました。
例え私のことを気に入らない場合であっても「これは売れそう。利益になる」と思ったのであれば、社長も「やってみようか」という気持ちになるだろうと。
反応が悪くてもいちいち気にしない
諦めずに視点を変えながら続けていたら、少しずつ社長の反応が良くなってきたんです。
結局、諦めずにいたことで、その後、企画が通り商品化されることになりました。
周囲が好き勝手な批判やどんな評価をしてきても、目に見えた結果が出なくても気にすることはないのだと、改めて思いました。
そして、自分の心が強くなれた気がしたんです。
自分で自分を正しく評価してあげればいいのですから。
誰の文句も気にしない(意見は聞く)
人って感情で動きやすいんですよね。相手のことや周囲のことを考えずに、思ったことを口にしてしまうことって、よくありませんか?
それは自分だけではなく、よくあることだったりします。
そのために周囲では、いろいろ文句や意見を言ってくる人が現れます。
勝手な評価をする人や批判してくる人を気にしない
思ったより、結果が思わしくなかった場合や例え結果が残せたとしても、それを快く思わない人もいます。中には、何か嫌味のようなことや批判はあるのが普通かも知れません。
そんなときこそ「そうですか。そう思っているんですね」と相手の意見として受け止めて、心の中では「今回は、私、十分、頑張ったよ。次にもう少し良くなるようにしてみればいいさ」と思ってしまいます。
そのときに、自分ができそうなやるべきことを一生懸命にさえやっていれば「批判など気にする必要はない」と強く感じていました。
ただし、他の部署からの不満や改善の要望は、積極的に聞くようにして、できるだけ次に活かすように心がけます。
感情的な文句や意見については、そのままを聞くようにします。ただ、聞くだけです。
言われたことについて、どうのこうのと、気にする必要はありません。
言われることは、自分にとっては悪いことではないんですよね。
言われた内容の全ては参考にならなくても「そういうことを言いたくなる気分になるのだな」ということを知ることができたからです。
全く知らない人とでも、何かしら誰かと関わることになりますよね。
他人の感情のはけ口とされたときの対処方法を学んでいきましょう。
今度は、できるだけそういう状況を回避できるような方法を見つけようと、自分の中で次に活かしていければ、同じような思いをすることはなくなります。
それから言う方は、あまり深く考えずに言っていることって結構ありますよね。
感情的な文句や意見は、そのままをダイレクトに受け止めないようにしましょう。
冷静な意見には耳を傾けよう
冷静な意見には「なるほどな」と思うようなことが多く含まれています。冷静に意見を言える人は、自分の感情をコントロールする術を持っている人なので、相手の立場にも立った一方的でない考え方ができているからです。
あくまでも
- 「文句」は勝手に言わせておく(邪険にするのではなく、内心で右から左へ聞き流す)
- 「意見」として発言をされた場合には、それなりの「事実」として受け止める
このようにして参考になる意見は、ありがたく取り入れたり改善したりしていくのがいいですね。
変化を受け入れる
「今が、一番、心地よくて幸せだな」
そう思うことってずっと続いて欲しいですよね。きっと誰もがそう思う気持ちになるのではないでしょうか。
しかし、実際には、自分ではどうにもならないことあるのが現実。
何も問題のなかった日々に突然に問題が現れると、びっくりしてしまいますよね。
どうにかできそうなことであれば、思いっきり頭と身体をフル回転させてみることで、状況は変わるでしょう。
頭と身体をフル回転させることは労力はかなり消費しますから、そうまでして「どれだけの結果になるのか?」を考えてみてから「どうにか、するかどうか?」は判断します。
状況を変えることにチャレンジしてみたいならば、そのリスク(時間、労力がかかるなど)の可能性もわかった上で状況を変えることにチャレンジしましょう。
「そこまでは思わない」のであれば、その問題の受け止め方を変えます。
その問題と共に上手く付き合っていくために、できるだけ自分の心が軽くなるように受け入れるようにします。
問題をそのまま受け入れるのも、状況を変えるということも、どちらも今まで通りではない変化を受け入れていくことになります。
安定している状態から変化することで不安な気持ちが生まれてしまうのは、自然なことですよね。
なぜって、変化するのは予測がつきにくいからなんですよね。予測ができないことには不安を感じるんですよね。
先がどうなるかわからない状況では、仕方ないがことです。
できることは、手を尽くし、どうにもできないことは、考えないようにする。
自分が抱えられるキャパシティー(許容能力)には限界があって、人によってもその大きさも違います。
どうしても、変化に耐えられないときには、その場から逃げてしまうのもありだと思います。
その場合は、今までとは行動を変えていく、自分自身の行動が変化することを受け入れることになります。
自分がつぶれてしまっては、仕方がありませんものね。他の場所で過ごす手もあります。
その場で変化を受け入れることも、自分がその場から離れて変化していくことも、どちらにしても自分にとっては、変化を受け入れることになります。
「失敗をしてもいい」と許すことができる
失敗は、誰にでもあるもの。
そうやって、人の失敗を許してあげられるといいですね。
それは、相手のためでもあるし、自分のためでもあるんですね。
自分だって、間違いや失敗は望んでいるわけではなくても、してしまうときってありますよね。
他人の失敗を許せるようになると、自分の失敗が気にならなくなるんです。
無責任になるわけではなくて、責任がある立場であっても同じです。
誰もが望んで失敗をするわけではありませんよね。その状況の背景にも、目を向けてみると「仕方なかった」ということも結構あることがわかります。
自分がまだ未熟で失敗したときを思い返してみましょう。
後になってわかった失敗は仕方のないこと。認めて改善していけばいい。
それぞれの感情が落ち着いた頃が、許しどきかも知れません。
そのときまでは、それぞれの気持ちを尊重し合って待つことも大切ですよね。
お互いを大切にするってそういうことだと思います。
他人の失敗にも寛容になろう。
「軽く」
「軽やかに」と言えば、どんなイメージになりますか?
ふわふわと浮かんでいるような。浮足立っているような。無責任なイメージにも思うかも知れませんね。
実際には「軽やかに」するために心がけていることは
- 背中や肩に抱えきれないほどの大きな重しを抱えない
- 自分に必要以上の負荷をかけないで、身軽な状態でいる
このようなことです。
もっと、違う言い方をすると「身の程を知る」ということなんですね。
自分の器を大きく見せようとするのではなく、その器の大きさを自覚して、その中でできることに精一杯力を注ぐ。
器は、知識や経験が増えていくとと段々と大きくなっていくんですね。
器が大きくなると、それに伴って責任を持つことや自信も増えていきます。
そのことを受け入れられないでいると
- 知識や経験はあるのに「責任を持ちたがらない」「自分に自信がない」
- ある程度の年齢を重ねているのに知識や経験が少なく知らないことが多いから「責任を持ちたがらない」「自分に自信がない」
と器を広げずにいる人もいるんですね。
器は、特別なことをしなくても人生経験を積んでいくことで大きくなるため、年齢が若いうちは小さく見られ、歳を重ねていくにつれて器は大きく広がっていくものなんです。
- それを自覚して、受け入れていけるかどうか
- そして、その大きさには個人差があるので、自分に入るだけの量にすること
この2つのことを、わかっている人が「軽やかに」生きているように見えるんですね。
知らないくせに知っている振りをしない
今まで、学校の成績は特によいわけでもなく、勉強もあまり好きではなかったために「自分は知らないことや、わからないことがたくさんある」と自覚していました。
知らないことが多いのだから、周囲に知っている人がいる場合には誰かに教えてもらうのが一番です。
知らないことは素直に「わかりません」と言ってきたことが、よかったと思ってます。
下手に中途半端にわかったことを、知っているかのように言ってしまうと、本当のことを知らないままになってしまうこともありますし、間違いに気づいたときの方が、とても恥ずかしい思いをします。
本当にわからないことは「わかりません」と言うことで、教えようとしてくれる人や助けしてくれる人が現れることもあります。
「わかりません」と声にだすことで、自分自身が、そのことについて改めて「知らないんだ」と自覚するんですよね。自分に足りないことが、はっきりとわかるわけです。
そうすると、自分で調べたり、勉強しなくちゃという気になります。
もし、格好つけて知っている振りをしていたらどうでしょうか?
自分は知っているのだから、もう、それ以上のことを知りたいとかわかりたいということは無くなっていたでしょう。
知らないことがあるから、他の人を凄いと認めることもできるし、そこまで一人だけで頑張る必要はないんだって思えるんですよね。
そんな自分を認めていくと、他の人が知らないことがあるときには「今度は自分も教えることができたらいいな」と思えてくるんですよね。
知っていることだったら、人に教えることもできますものね。
無理をし過ぎない
勝手な思い込みや根拠のない常識が当たり前になってしまっていませんか?
いつもの考え方や周囲の意見に合わせていた方が、簡単でラクなように感じるんですよね。
- 「今まで通りにやればいいんでしょ」と、このぐらいのことなら、簡単だから
- 「そういうことなら、そうしてみようかな」と、他人に言われた通りにしていた方が波風が立たずに上手くいきそう
こういうときが、無理してしまいやすいんです。
自分にとってラクそうな方を選ぶと、知らぬ間にこういった無理をしてしまうことよくあります。
ちょっと難しそうなこと、問題はあるけれど「やってみよう」と自分の意思で思える方を選ぶのが無理をしないコツです。
「好きじゃない」「やりたくない」以外の理由のときは、何とかして続けたい気持ちの方が大きいです。
「こうじゃなきゃ、いけない」ということはありません。
意外と難しそうなことや問題があると思えている方が、慎重になりますし「やるべき目標」も、しっかりと考えを巡らすことで見つかりやすいです。
自分の頭で考え、自分に合ったやり方を見つけていく方が冷静に判断、実行できるので、無理もしにくくなります。
嫌だと思うことのそばからは離れる
何度か自分の心に正直にできない時期もありました。感情を無視して気づかないふりをしていると、身体や心がストレスをためてしまい、自分で自分をコントロールできなくなってくるんですよね。
そうすると「どうにでもなれ!」と自分の行動に責任が持てなくなります。
自分に責任がもてなくなると、周囲にも迷惑がかかりますし、自分もつらくなっていくんです。
もう、そういう思いはしたくありません。自分を大切にしていくと決めました。
私にとって嫌なことから離れることは、自分の本能に素直に従うことでもあります。
心を健康に保つには、本能に従うことも大切なときがあるんですね。
自分を大切にすると、周囲の人にも優しくなれます。誰かの失敗を許すことも以前よりは容易になります。
「好きじゃない」「やりたくない」と思った場合には、潔く身を引きます。
まとめ
素敵だなと思った「強く」「しなやかに」「軽く」生きている人から学んだことや、それを真似て行動してみたことをまとめました。
自分の芯を持つだけではなく、その芯を「強く」「しなやかに」「軽く」していくことで心さらには強くなっていけるんですね。
「強く」「しなやかに」「軽く」生きるためにする具体的なことは
1.「強く」とは、忍耐力を持つこと
- 粘り強く諦めずにやる
- 欲求に惑わされずに長期的に考える
2.「しなやかに」とは、柔軟に対応すること
- 他人に批判されることを気にしない(しなやかに受け流す)
- 誰の文句も気にしない(意見は聞く)
- 変化を受け入れる
- 「失敗してもいい」と許すことができる
3.「軽く」とは、自分で負担を背負い過ぎないこと
- 知らないくせに知っている振りをしない
- 無理をし過ぎない
- 嫌だと思うことのそばからは離れる
以上になります。
私自身、このように思っていても感情で動いてしまったり、思うように行動できないことも、まだまだあります。
自分の感情をコントロールすることを意識していくことで、少しずつでもへこたれない強い心を作っていきたいですね。