人間関係、仕事、趣味など「何だか、うまくいかないなぁ」ってときありませんか?
「一生懸命やっているのに、どうして?」
「考えても考えても正解がわからない」
うまくいかないときには、何をやってもうまくいかない気がしませんか?「何をどのようにすればよいのか?」もう八方塞がりのようで、どこから手をつけてよいのかわからなくなりますよね。
「どうしてなのか?」がわからなければ「どのように行動すればよいのか?」はわかりませんよね。
目の前のことに一生懸命になっているからこそ、気づいていない部分があるのかも知れません。
まずは「なぜ?うまくいかないのか」を見てみましょう。
うまくいかないのはなぜか?その理由とは?
うまくいかないときは、肩の力が入っていませんか?まずは、深呼吸して肩の力を抜いてみましょう。
何かに一生懸命に熱くなっているときは、つい体中に力が入ってしまいますよね。
今までを振り返ってみて思うのは、思い通りにうまくいってるときって「こうじゃなきゃならない!」ではないんですよね。そうではなく「こうだったらいいのにな」ぐらいのフワッとした思いでいます。
しかし、ものごとに一生懸命に熱くなることは、何かを成し遂げるためには必要なことですよね。
うまくいかないのは、一体、何がいけないのでしょうか?
もしかしたら、頑張ろうとしている方向に問題があるのかも知れません。
自分のことがよくわかっていないので本当に合うものがわかっていない
日常生活を送るのって、毎日、何かといろいろ忙しいですよね。
それは、大人でも子どもでも幅広い範囲で言えることだと思います。衣食住に関わることは自分で考えて動きます。食事を作って食べて寝て、仕事や学校へ行き、家事をし、そのほかにも周囲の人との付き合いもある。
少しの時間が空けば、好きなことや趣味をする時間にしたいところですが、目の前に起こった問題に対処する必要が発生したりします。息をつく間もなく時間を過ごし、少し疲れてちょっと身体を休めることであっという間に一日が過ぎて行ってしまいます。
放っておいたら「ここしばらく、好きなことや趣味などのことを考える時間を持てていなかった」なんて方も多いのではないでしょうか。
子育てをしていると、子どもを自立した大人に育てるために、どのように接していったらよいのかを考えながら過ごしています。
今、ふと思うのは「子どもは子どもなりに、親は親なり、また仕事をしている人は仕事上でその年齢や立場ごとの役割の課題をこなすことが精一杯で、時間に追われるようにずっときてしまっているのだなぁ」ということです。
とくに、自立した後の日々の生活は、親がしてきた時代を見よう見まねでしていくしかありませんものね。自分にあったやり方を考えていけるようになるには、生活することに慣れて少したってからになるでしょうね。
それなのに時間は待ってくれません。今の時代は生活は便利になった代わりに、新しい技術や知識を以前よりもたくさん覚えなくては使いこなせないものや情報が多く、そのままでは生活することが難しくなっています。そのために勉強したり調べたり、やる必要があることが山ほどあります。
このように時間に追われ、自分の好きなことや趣味のことを考える時間にとことん向き合える時間を持つことができない人も多いように感じます。
自分のことがよくわからない場合には、自分にとっての最良な選択をすることができません。
一般的には最高の選択だと思っていたことも、じつは自分には向いていない場合だってあるんです。
うまくいかないのは、自分に合った方法や方向を選択できていないためでもあるんです。
思い込みに囚われている
何か新しいことを始めようと思えば、そのための知識や情報を手に入れて、まずはお手本となるものを探してみますよね。
そしてその通りにやってみて「お手本通りにやっているのだから、うまくいくはずだ」と、このように思ってしまっていることはありませんか?
お手本は、あくまでもお手本であって、全く同じようになるとは限りません。
思い通りにいかないときには「やり方はそれしかない」と思い込んではいませんか?一生懸命になるあまりに自分の考え方が固まり過ぎているのではないでしょうか。
どうしてもうまくいかないときには、そこでお手本となる人と自分との違いに気がつけばよいのですが、なかなかそのことに気づくことができないことがあります。
「こうすれば、こうなるはずだ」と思い描くことはできても、実際にそのことに関しての知識や技術が自分になければ、できないこともあるんです。
そのことがわかっていれば「どの知識や技術が足りないのか?」を考え行動することもできますものね。
信用できる情報や知識を持っていない
今、手元にある知識や情報はどのようにして手に入れましたか?
手っ取り早く、手に入れることができたのであれば、少し見直す必要があるかも知れません。
情報や知識は、発信する側の意図があって発信しています。
それは目の前に見えることだけでは判断できない場合がありますよね。
本当に必要としている人に届けたくて、発信している人もいれば、まったく別の目的で行われていることもあります。収入や実績を得るためであったり、良いことばかりを書いてあることもあります。
どの情報や知識が信用に値するのかを見分けることが、まず先になります。
その情報に確信が持てないのであれば、もう一度よく調べて見直すことも大切です。
しがらみから抜け出す勇気がない
「しがらみ」とは、人間関係で言えば「引き留めるもの」「まとわりつくもの」「切っても切れない縁のようなもの」を意味しています。
それは家族、友達、知り合い、仕事関係の人、同じ地域に住む人などの場合もありますよね。
生きていく上で、完全に自給自足で誰とも接することがない限り、人との関わりはどうしても発生します。
人との関係は、できるだけ「協力」「協調」し合いながらそれぞれの個性や考え方を尊重し合って過ごしていきたいものですね。
しかし「しがらみ」のように、関係性を縛ってしまうようなイメージになってしまうのは、あまりうれしいことではありません。
また「絆」という言葉は、よいイメージで使われがちですが言葉の元の意味をたどれば「しがらみ」とよく似ていて「つなぎとめる」「結びつき」ようなことを意味しています。
最近では「絆」は「支え合い助け合う関係」のイメージが強くなりそういった意味での「結びつき」を大切にする気持ちを持つ方が増えているようです。
お互いの意思を尊重し合うことができ、離れていても相手を思いやることができるのであれば「絆」としてその人との関係を大切に保っていくことは、自分にとっての大切な宝物にもなると思います。
それが「つなぎとめる」「縛られる」といった「しがらみ」のような意味での人間関係であれば、その先の孤独を恐れずに抜け出す勇気を持ちましょう。
なぜなら、自分の中で相手との関係について「しがらみ」と考えてしまっている時点で、自分の存在を相手に認められていない思いを感じているからです。それは、お互いに尊重し合えていないということ。
相手と話し合い理解し合うことができれば一番よいのでしょうが、現実的にはお互いの立場や感情が邪魔をしてしまい、わかり合うことはなかなか難しいようです。
ずっと一緒にいる人、当たり前のようにそばにいる人、どこにいても関係が切れない人のことは「自分にとって大切な人なんだ」と思いがちです。
ひとりになって孤独を感じるかもしれないと恐れているのなら、なおさら、その関係を断つことは考えたくないでしょう。その「しがらみ」から抜け出す勇気が持てないのです。
ただ、そう感じてしまっている以上、自分にとっては負担になってしまっているんですよね。「もっと違った人間関係もあるんだ」という事実を受け入れる勇気も持つときなのでしょう。
自分の人生の時間には限りがあります。先延ばしにすることはあまり得策ではない気がします。
「どんな人と共に、どういった生き方をしていきたいか?」を考えてみると、そのときには孤独への恐れは和らぐのではないでしょうか。
うまくいかないときには「しがらみ」から抜け出す勇気がないときではありませんか?
勇気を出してそこから抜け出して、自分が知らなかった世界に目を向ける。そうすればそこには、新しい世界に行かなくてはわからない景色があることに気づくんですよね。
その世界の景色を見てみたいのであれば、今いる環境から抜け出してその世界へ足を踏み入れてみる。
自分が思い描いていたものとは違う場合もあれば、もっと素晴らしい世界が広がっていることもあるかも知れません。どっちに転ぶかは、その世界を見てみない限りはわからないのです。
ひとつだけ言えることは「『うまくいかないとき』には、他の景色を見てみることで、『うまくできそうなこと』に気づくきっかけになる」ということです。
それがうまくいく第一歩となるでしょう。
過去の思い出を引きずっている
現時点で 自分で考えられることって、自分が経験してきたことか、人から聞いたり、自分で調べたりして見聞きしてきたことのどちらかですよね。
もう一つ頭を使ってできることは、未来のことを思い描くこと。
しかし、この先をイメージすることって、見本がないとけっこう難しいことではありませんか?
そうすると、時間が空けば考えてしまうことは、思い出しやすいことに気がいってしまうんですよね。過去のこととか、経験したことに。
結果的には、それが過去を引きずっているということにつながってしまうわけです。
過去に経験したことをただ思い返すのではなく、それをもとに「これから、どうしていくのか?」まで、考えを進めることができれば、ただの思い出ではなくなります。それは自分だけの知識や知恵につながっていくんだと思います。
よい思い出は、たまにの休日にその思い出を楽しむだけのことがあっても、充実した時間を送ることができます。そこまで考えることをしなくても意味のあることですよね。
ただ、うまくいかないときには「今、どうしたらよいのか?何ができるか?」を知りたいわけですものね。
思い出を楽しむだけで止まってしまっていては、時間だけが過ぎていってしまいます。
今の自分ができそうなことは、過去の自分の経験や知識の中に潜んでいます。
思い出を引きずっているのではなく、その経験を未来へ活かしていくことを考えましょう。
何かを理由にしてやりたいことから逃げている
普段、何も考えずにいると、ついラクな方へいきたくなりますよね。
- 難しいこと
- イヤなこと
- 楽しくないこと
- 面倒なこと
このようなことからはできるだけ離れたくなります。
そんなときには、周囲が納得しそうな理由を見つけて「仕方がない」と思うように行動しようとしてしまいます。
じつは自分自身に対しても、実際にある目の前のことが実行不可能に感じているなら同じことが起こるときがあります。
結局は「それをしたくない」と心が思ってしまえば、行動はできないということです。しかも、ちゃんとその理由まで考えているんです。
例えば「忙しいから」「急いでいないから」「お金がないから」などのように。
何かを理由にしようと思えば、いくらでも思いつきます。
しかし、できるための方法だって考えることはできます。ラクな方を選んできてしまった人にとっては、少し重い腰を上げるようなことであるので、何かしらのきっかけがあった方がやりやすいでしょう。
一度、できる方法を自分で考えて行動することがでた成功体験をすれば、何事にも対応できそうな気がしてきます。
うまくいかないときにはまず「何かを理由にラクな方に逃げていないだろか?」を考えてみましょう。
一般的な価値観に惑わされてしまっている
一般的は価値観とは「常識」「概念」「風潮」といった意味で言っています。
これらは時代によって変化してきていて、国や地域などによっても異なるものがあるようです。
社会で暮らしていくのには、その社会のルールやマナーを守らなければうまくやっていけませんよね。そのことがわかっているから、基本的にはそのルールやマナーを守ろうとします。
価値観は、その属している社会(国、地域、会社、学校など)によって違いがあります。そのためにもし「自分自身の個人の価値観」と「属している社会との価値観」に違いが大きくあるようならば、うまくいかないことも多々出てくるわけです。
そのときに、うまくいくようにするためには
- 自分自身の価値観を変えていく
- 属している社会を移動する
- 属している社会の価値観を変えていく
この3つのどれかで対応していくことになります。
しかし現状は、日々の生活をこなすことで精一杯です。「何かがうまくいかない」と思っていても無意識のうちに「長いものに巻かれろ」の精神でなんとなく過ごしてしまっているのではないでしょうか。
どこかで、妥協することは必要です。
自分の価値観の変えられる部分は変えていくことも大切だったりします。
しかし、もしも自分の芯となる部分の価値観が大きく異なるのであれば、そのままの環境でうまくいくことは難しいでしょう。
そのときには、属している価値観ではない場所へ移る行動も大事なことです。
うまくいかないことは、どうにもできないのではなく、方法は見つかるはずです。
自分が希望する未来を描くことができなくなっている
過去のよい思い出に浸っているときって、なんだか楽しいですよね。「いつまでもこの時間が続いて欲しいな」と思ったりして。共に思い出を語り合う仲間がいるのであればなおさらです。
そんなときは時が止まって欲しいと思うこともありますよね。
現実は、どんどん進んでいくんです。
それは何か?「時(時間)」です。
時計を見れば、時(時間)はみな平等に進んでいるように思えますよね。
しかし、実際には「自分の中の『体感』として時間を捉えていることが多いのでは?」と私は思っています。自分の進むスピードと周囲の身近にいる人が進むスピードが同じとは限りませんし、今までは共通した価値観で重なって関われていたことも、そのスピードの違いによって開きが出てきてしまいます。
お互いの歩きやすい速度に合わせるには、どちらかが相手に合わせるしかありません。
それは、自分の価値観や考え方を変化させていくことになります。
お互いに共通する部分が多く楽しさを共有できているうちならよいのですが、もしも、この先、今まで共に過ごしてきた人と別々の時間を過ごすことになったのなら、何を基準にして過ごせばよいのでしょうか?
「どうしたらよいのか?」きっとわからなくなってしまいますよね。
このように思い描いていた状況が変化してしまったことで先が見えなくなってしまうことはよく起こります。
うまくいかないときには「何がしたいのか?この先どうしたいのか?」未来が描けなくなってしまったときかも知れません。
しかし、それはなくなったのではなく、自分の中の価値観のある一部の部分にだけ目を向けた生活だったから、そう感じるんですよね。
自分の中の価値観は一つだけではないはずです。
もう一度、その人と出会う前のことを思い出してみればいいと思います。「楽しいやりたいこと」があったことに気づくとができます。
そうすると、また未来を描きたくなりませんか?
まとめ
うまくいかないときには、そのことに力を入れるやり方や方向がまちがっているのかも知れません。そのことに気づくためには、一旦、目の前のことから少し離れてみる時間をつくりましょう。
目の前のことしか見えていなかったものが、他のことに目を向けることで別の角度から見ることができます。
前から見ていたものを横から、後ろから、上から、下から、斜めからなど自分自身が様々な場所に移ってみて観察してみます。
距離を離したり、近づけたりすることでも見え方や印象は変化します。
うまくいかないその事柄を手にとって動かすのではなく、自分がいる位置を移動することでそのものの見え方を観察するんです。
そうすると、今まで感じていたこととは違った視点での感情や考え方を発見できるんですね。
うまくいかないことを「そのこと自体をどうするのか?」ということより「自分は今(これから)からどうしていきたいのか?」ということに重点を置いて考えてみましょう。
すると「見えていなかった問題」がはっきりし、自分に「できること」と「できないこと」もはっきりしてきます。
うまくいかない理由は、自分の考え方だったことに気づくと思います。
あとは、うまくいかないことにはこだわらずに「今からどう行動していくのか?」を考えて動いてみましょう。