どんなに説明してもわかってもらえない。
こちらが言おうとしていることを汲み取ってもらえない。
自分の説明の仕方がわかりにくいのかもしれないと思って、言い方を変えてみても状況は変わらず理解してもらえない。
別の人に話せばすぐにわかってもらえることも、話が通じない人だけには伝わらない。
こんな経験はありませんか?
話が通じない理由は、自分の伝え方の問題以外に、相手が話を聞こうとしないことにあります。
厳密に言えば、伝わっていたとしても知らん顔をして自分のペースでしか行動できない人がいます。
話が通じない人は、お互いの違いについても相手のことについても興味がないんですね。
どうしても関わらなくてはならない状況で話が通じない人に出会うと、対応に困ってしまいますよね。
今回は
- 話が通じない人の特徴
- 話が通じない人の対処法
をお伝えしますね。
話が通じない人の特徴と対処法を知って、できるだけスムーズなコミュニケーションを見つけていきましょう。
話が通じない人が人と接するときになる思考パターン
話が通じない人が人と接するときになる思考パターンは
- 元々の性格
- 今まで言われてきたこと
- 周囲の対応
この3つが絡み合って作られたように思います。
- 素直にできない
- こだわりが強い
- 思い込みが激しい
- ますます意固地になっていく
話が通じない人は、このループが生まれてしまっているんですよね。
他の人とは違う部分に興味を持っていたりこだわりがあるからこそ、人との関わりの中では理解してもらえない思いを多く感じてきているんですよね。
それは敏感で繊細な気質だからなのでしょう。
話が通じない人は「自分に興味があるかどうか」だけを基準に動いている
話が通じない人の考え方は、わかりやすく言ってしまえば
この1点のみですべてのことを判断しています。
話が通じない人にとっての人間関係は大きくわけて
【1】家族や共通の話題がある人(相手が自分に合わせてくれる人)
【2】それ以外の人(自分が相手に合わせなくてはならない人)
といった2つのみで判断しています。
話が通じない人は【2】のように自分が相手に合わせなくてはならない状況をできるだけ回避しようとします。
その方法は
- あくまでも自分の主張が正しいと言い張る
- 聞く耳を持とうとしない
- 立場的に自分より強そうな人には無条件で相手の言う通りにする
このような特徴があるため、仕事場では上司や取引先とは問題なく過ごせてしまうこともあるんです。
中には頑なにどんな相手でも一切、自分の態度を変えない話が通じない人もいます。
結果的に話が通じない人からは、どんな相手であっても自分の思考パターンの枠内にある話を聞かされることになります。
話が通じない人は、まったく相手の気持ちに寄り添うようなことはなく、関わる人は一方的に振り回されている気がして疲れてしまうんですね。
人間関係において、自分の興味や関心だけでは済まないこともたびたびありますよね。
会社で働いていれば好きなことだけをやっていればよいわけではないでしょうし、社会で暮らしていくうえで多くの人が世間体など目には見えにくいことを前提に考えている場合もありますよね。
話が通じない人は、あくまでも自分にとっての興味があるかどうかが重要なことなので、それ以外の常識的な感覚をまったく考えるつもりも必要もないと思っているところがあるんです。
だから他の人と通じないということも多くなるわけなんですね。
意図的に鈍感力を高くしている
話が通じない人は、どんな環境にいても子どもの頃から考え方は大きく変わっていないんですよね。
自分にとって「興味があるかどうか」の基準でずっときているのですから。
学校や会社、仲間といった決まり事やルールがはっきりとわかっているところでは、そのルールを守る必要があることは「興味があるかどうか」とは関係なく少しずつやっていく必要があることだとその都度、対応しようとしています。
そうしなければ、結果的に自分に不利益が被ることがわかっているからです。
それ以外の曖昧な関係の場合には、興味を持とうとはせず
- 本当に興味がなく意識に入っていない
- 気づいていたとしても「我関せず」の態度で知らん顔をする
という感じです。
今まで周囲から変わった人扱いされていることも、本人からすれば納得がいかないわけです。
「興味もないことに時間も労力も費やしたくない」
と思って、あえて鈍感力を高く発揮している場合もあるのですね。
人一倍、気にしやすいため心を開きたくない
話が通じない人は本当にわかっていないのではなく、じつは人一倍、敏感で繊細なんですね。
だからこそ、いつも周囲に合わせたり、気にしたりしていれば自分の神経がすり減ってしまうのがわかっているんですよね。
自分の気質がわかっているからこそ、できるだけ感情を揺さぶるような刺激を心に入れたくないんです。
それは心を閉ざしてしまえば、いいことだと思っているんですね。
自分が大切にしているプライドを守りたい
どんな人もそれぞれに個性があるから、その人なりの力を発揮して輝いていますよね。
どこからが個性でどこからが変な人なのか?
広い世の中に出るまでは身の回りにいる人がすべてで、その人たちからの評価のされ方次第で「個性」か「変人」なのかが決まってしまいます。
自分である程度お金を稼げるようになれば、どこにでも行けますし、自分に合った環境を探すこともできます。
それまでは、何とかして自分だけであっても
「自分の個性をつぶすことなく守っていきたい」
そんな思いがあるのではないでしょうか。
誰でもが持っている「自尊心」を守りたい気持ちです。
話が通じない人の場合、大切にしたい「自尊心」がはっきりと認識できていないんですよね。(自分に自信がない)
そのために、人に認められることによって「プライド」を持つことで自分の立ち位置を確立しようとしているんですね。
「プライド」と「自尊心」の違い
「プライド」と「自尊心」はよく似ていますが、意味が違います。
「プライド」は、他者に対して自分がどう映るかを気にしている気持ちだということ。
「自尊心」は、自分だけが自信を持って認めていることでも持つことができます。
「プライド」は、誰かに認められなければ持ち続けることができないんです。
話が通じない人は「プライド」と「自尊心」を混同してしまっていて、人から評価されることでしか「自尊心」は持つことができないと思いこんでしまっているのですね。
劣等感・優越感の感情に振り回されやすい
話が通じない人は「自尊心」が低いことが原因となって「プライド」を誇示することで自分らしさを保とうとします。
そうすると、本人は意識していなくても必然的に誰かの目を気にしていることになり、他人の評価による優劣を重視するようになるんです。
人の評価を気にするということは、誰かと比べられることが当たり前だと思っているんですよね。
劣等感・優越感の感情は、できれば手放した方が自分らしく穏やかに暮らせます。
劣等感・優越感についての詳しいことは「劣等感・優越感とはどんなものなのか?感情と影響がポイント」をご覧くださいね。
話が通じない人が人と関わるときにの思考には「劣等感・優越感」のことがいつも付きまとっているんです。
話が通じない人の場合、人とのやり取り(コミュニケーション)の目的は、お互いを知るためではなく「自分を誇示する」「認めてもらう」ことが常に目的になっているんですね。
自分の感情を刺激されたくないために相手に興味がない
どんなに自分のペースをキープしようとしていても、感情を刺激されてしまえば、するはずのない心配をすることもありますよね。
自分の心が乱されれば落ち着くまでには時間がかかりますし、本来は考えなくて済んだことを考えずにはいられない状況にもなります。
「そういったことに時間をとられたくない」
そんな思いが強いんですよね。
相手が何かを投げかけてきたとしても
「知らない」「わからない」「興味がない」
という態度でいれば
「その場にいることをあきらめて他の人や手段をあたってくれるだろう」と思っているんですね。
相手の立場や状況、性格などは見ようとしない
話が通じない人は、そもそも自分のことを知ってもらおうとも思っていないんですよね。
そして「相手のことも知る必要もない」とも思っています。
その気持ちでいる以上、相手の立場や状況、性格など見ようとしていないことがわかりますよね。
自分の弱い部分を認めない
話が通じない人は、本当の自分を見せた状態で人と関わることが苦手なため
「素の自分に自信が持てない」
そんな気持ちがあるんですね。
「知らない」「わからない」と素直に認められない
話が通じない人は、プライドを持っています。
そのため「知らない」「わからない 」と自分が言うことは恥ずかしいことだと思っているんですよね。
ちょっとしたことであっても、決して「知らない」「わからない 」とは言おうとしません。
たとえ、本当に知らないことだとしても。
何らかの辻褄(つじつま)を合わせて話を収めようとするため、相手は違和感を感じることがあります。
「○○してあげている」という上から目線な立ち位置でしか誰かと関われない
自分が弱いからこそ、強がってしまう。
そういうことってありますよね。
自分では気づいていないかもしれませんが「○○してあげる」という態度は、相手に伝わっています。
話が通じない人は、自分の弱さを決して認めたくない思いから自分が優れている部分だけに偏った基準で物事を見ようとしているんですね。
人と関わるときにも相手の基準に関係なく、自分の立場や基準を優先した考えや行動になるんですよね。
相手の人は、存在を無視されたような気分になって嫌な気持ちになることもあります。
そうだとしても、話が通じない人は、自分の立ち位置を変えようとはしません。
自分の本心を見せたくない
話が通じない人は、心を開いていないため一歩踏み込んだ会話になりません。
心を開くということは、ある程度「都合の悪い部分」もチラッと見せることを言います。
話が通じない人は「都合の悪い部分」を見せたくないのです。
なぜなら
- 否定されること
- あれこれ言われること
- 自分で弱さを認めること
が嫌だからです。
仕事上のことであっても、相手とやり取りするときには立場を超えた一歩踏み込んだ会話ができれば、お互いの本当のニーズに応えることが可能になります。
話が通じない人は、立場や状況などを理由にして一切、自分の本心を語ろうとはしないんですね。
自分の考え方が正解だと思い込んでいる
ただ自分に自信がない人の場合には、このような考え方にはなりません。
ほとんどの人が初めは自信がないわけです。
いろいろな人との関係性の中でお互いの違いを見聞きしながら、自分にとっての正解を取捨選択をくり返し、自分なりの自信を身につけていくんですよね。
話が通じない人の場合には
「自分は正しい。考え方は間違っていない」
いつもどこかにこの思いを持ち続けているんです。
とくに
- 専門的な知識を身につけた人
- 他の人よりも勝っていると感じる部分がある人
は「自分の考え方が正解」だと思い考え方を変えようとしません。
自分が常に正しいと思っているんですよね。
自分の考えに自信を持つことは良いのですが
- さまざまな価値観があること
- 多くの価値観の違う人と関わり合って日々過ごしていること
この2つのことが抜けてしまっているから偏った自信になってしまっているんです。
社会的な立場を手に入れると自分のやり方が正しいと凝り固まった自信を持つようになる
自分に自信を持つためには、自分を信じて行動することが大事です。
話が通じない人は、自分が信じたことにはどんな雑音も気にせずにひたむきに打ち込むことは得意としています。
そのため仕事で自分の得意を発揮できる部署などにつくこともできます。
ですから今やっている仕事や立場については、認められてその場にいると本人も自覚しています。
そのことには「自分なりのやり方でも認められている」という自負があるんですよね。
しかし、どこの部署にいても人との関わりはありますよね。
先ほどの
- さまざまな価値観があること
- 多くの価値観の違う人と関わり合って日々過ごしていること
この2つのことが抜けてしまっていることで、関わる相手は違和感を感じ「話が通じない」と思うんですね。
自分が間違っているわけがないと思っている
そう言い切れる人はなかなかいないのではないでしょうか。
「何を基準にして考えるのか?」によっても答えは違ってきますし、相手があることであれば、相手の考える基準だってあるんですよね。
もし
「自分は間違っているわけがない」
と言い切れるのであれば
- 自分の殻に閉じこもった世界で過ごしてきた
- 自分と似たような考えの人たちとだけ関わってきた
このようなことが関係しているのでしょう。
話が通じない人とやり取りしていると、よくあることが「同じ内容がループしてくり返されること」です。
そういうときには「あぁ、この人は自分は間違っていないと思っているんだな」と感じるんですよね。
自分が知っていることは誰でも知っていて当たり前だと思っている
話が通じない人は、相手があることであっても考え方は「自分の基準」で行われます。
とくにその特徴が目立つのが自分が得意としていることについてです。
人よりもよく知っていること、優れていることがある場合には
- まだ何も知らない人
- わからなくて困っている人
- 協力して欲しいと思っている人
がいたとしても「自分の基準」で話をします。
自分が話したいことだけを話したいようにするだけ。
こんな印象です。
もし、相手が「もう少しわかるように教えて下さい」と言ったのなら
「こんなことも知らないのですか?」
と言わんばかりの態度をするんですよね。
自分が苦手な部分は必要ないものとして自分の意識に存在させていない
効率よく物事と進めるためには、ムダを省くことが一番良いように感じますよね。
自分が苦手な部分がはっきりしているのなら、無いものとして考えるのも一つのやり方ではあります。
自分だけのことならばそれでも構わないのですが、仕事などで他の人と関わりがある場合では、状況が変わってきますよね。
自分にとってのムダでも、相手にとってはとても重要なこともあるわけです。
話が通じない人は、誰かと関わるときにまで、自分の基準に合わせて効率よく進めようとすることがよくあるんですよね。
面倒なことが嫌い!興味のあること以外は早く終わらせたいと思っている
- 自分の型が決まっていてそこから出ようとしない
- 相手が納得していなくても自分の正しいと思う型にはめた説明しかしない
- どんな人に対しても同じ対応をする
- 人の意見に聞く耳を持たない
- 型から出ようとしないのは予想外の対応が面倒だから
このような行動から
話が伝わらない人をよく見ていると
- 面倒なことが嫌い
- 興味のあること以外は早く終わらせたいと思っている
ということがよくわかります。
自分のペースで1日を過ごしたい気持ちが強いため予定外の対応をしたくない
話が通じない人は、一つのことを掘り下げることが大好きです。
自分が興味のあるいくつかのことに没頭し、そのことだけを考える時間が何よりも大切です。
「人と関わることは、相手のペースに合わせる必要も出てくる」
話が通じない人は、このことはよくわかっています。
「だからこそ面倒なやり取りを避けたい。相手に合わせている暇はない」
「いっそのこと、話が通じない人と思われてもいいからこの場から解放されたい」
そう思っているんですよね。
話が通じない人は誰かと心を通わそうと思っていない
自分に興味があることならばいっしょに楽しもうとはします。
話が通じない人は「これって楽しいね。面白いよね」と言い合うことはできます。
会話は、お互いに共感し合うことを目的にする場合もありますよね。
しかし相手がいっしょにうれしそうにしているかどうかには、まったく興味はないのです。
相手が「この○○の部分って最高だよね」と掘り下げた内容になると、共感し合うことや相手の言おうとしていることを受け止めることをせず、自分の湧き上がった気持ちを伝えようとしてしまいます。
そのため、自分が思っていることと少しでも一致していないと感じると、共感し合うことよりも自分のペースで思ったことを伝えようとするんです。
相手が共感して欲しい気持ちを受け止めることができない
相手からすれば
「興味や好きなものが同じ人と共感し合って楽しみたい」
「自分が気に入っている良いと思うことを相手にも認めてもらいたい」
そういった目的があってコミュニケーションしている場合も多くあるんですよね。
先ず、そのことがわかっていない。
話しかけられたという立場がわかっていない
場合によっては意見を求められることもありますが、そういった場合には話しかけた方(誘った方)が伝えたいこと(やりたいこと)があるから相手に声をかけるわけですよね。
その前提がわからない。
本来ならコミュニケーションにおいてはその前提がわかったうえで
「どの程度の何を聞かれているのか?」
を考えて答えるようにしますが、話が通じない人は自分がどんな立場にいるのかわかっていないんです。
話が通じない人は なぜ話が通じないのか?
普段からどんな立場の人とでもある程度、心を開いて(オープンマインドで)接することができる人ですと、話が通じない人に違和感を覚えてしまうのは仕方のないことです。
なぜなら話が通じない人は、誰と接するときにでもいつでも自分を守ることに意識が向いてしまうからです。
「話が通じない」と感じた人の違和感が生じますよね。
すると、どうしても相手に対して不快感を表すことにもなるので、その気持ちは話が通じない人にも伝わるんです。
そのことで話が通じない人は自分を否定されているように感じるんですね。
人から否定されることは誰でもいい思いはしませんよね。
話が通じない人は、じつは鈍感なのではなく、繊細で敏感だからこそ自分が傷つかないために鈍感であろうとします。
ボクシングで言えば誰かと接するときには常にファイティングポーズをとって自分を守っているような感じです。
なぜ、そのような意識が働いてしまうのでしょうか?
それは話が通じない人がこれまで経験してきたことや環境、性格なども絡み合って、今があるんですよね。
これまでの経験では、自分が素直な感情で人と接することで
- 肯定される
- 心地よい時間を過ごす
ことがあまりなかったんですよね。
そのために、誰かと関わることはいつも
「自分の自尊心を否定されるのではないか」
「心を開いてもいいことはない」
と人と関わることへの考え方のクセができてしまっているんですよね。
【原因1】「相手に寄り添う」「自分に寄り添ってもらう」共感し合う経験ができていないから
子どもの頃や今までの周囲の環境もありますし、本人の物事の捉え方のクセもあるでしょう。
それらを理解し寄り添ってくれる人も周囲にいなかったのかも知れませんね。
どちらかが相手の立場に立って同じように考えることができなければ、心を通わせることはできないんですよね。
子どもうちから自然にそういったことができるわけではなくて、親や家族から子どもに寄り添ったコミュニケーションをされていくうちに身につけていくものなんですよね。
親の都合に合わせてばかりいた
- 子どもの気持ちを考えずに怒ってばかりの親だったが反抗せずに従ってきた
- 子どもの気持ちや考えを汲み取ろうとせずに親の立場の意見にすべて合わせていた
このように子ども時代を過ごしてきたことで、自分の本心をどこかにしまっておく習慣が知らぬ間に身についてしまっているんですよね。
大人になったからと言って、その習慣は自分が気づかない限り変わりませんものね。
親から叱られた経験がない
親や家族が子どもに寄り添って子どもの好きに合わせることがよいとは限りません。
人と関わるときには相手の都合や目的も考えることも必要なんですよね。
「自分に寄り添ってもらうときもあれば、自分が寄り添う立場のときもある」
その両方の立場の経験をどれだけしてきたかどうかによっても違いがあると思います。
個性が強く、素直に聞くタイプの子でない場合には、親は手を焼いてしまってある程度、放任してしまっていることもあるんです。
しかし、家族や社会のルール、会話のマナーなどは誰かが教えていく必要があるんですね。
もし、家族とそういった経験ができなくても家族以外の人との関わりの中で経験しながら学んでいくことができるのなら他の人と同じように心を通わせることもできます。
ただ問題は、個性の強い素直に聞かないタイプの人に付き合って寄り添おうとする家族以外に親身になってくれる人がいるかどうかです。
なかなか、そういった人と出会うことは難しいんですよね。
なぜなら誰でも人と関わることによってお互いに共感し寄り添い合うことを求めているからなんです。
いるとすれば、先生やカウンセラーなどを仕事としている人やそういった役割を使命として考えている人ぐらいでしょう。
とくに1対1などの関係でやり取りするときには、今まで親がしてくれていたのと同じでやってもらって当たり前の感覚のままなんです。
本人は「なぜ、話が通じないのか?」がわかっていないんですよね。
そうなると心を閉ざして、自分の行動や考え方を効率的にパターン化してしまった方が余計なことを考えなくて済むのでラクなんです。
自分の本心や素直な感情ではなく、あくまでも自分の立場でのやり取りでしかありませんから、相手の反応がどうであっても気にならないんですね。
話が通じない人が鈍感力が高くなる理由にはこういった背景があるんですね。
【原因2】会話を何のためにするのかがわかっていない
話が通じないは、話のキャッチボールがずれているのが原因なんですよね。
話のキャッチボールって何のためにどうすればよいのでしょうか?
会話のキャッチボールができない
実際に野球などでする球のキャッチボールに例えてみてみましょう。
- 相手の構えている場所でないところにボールを投げてしまっている
- 自分の投げやすいボールを好きなときに急に投げる
- 相手からのボールをキャッチしないで見過ごす
このような状態なんです。
普段、当たり前に話のキャッチボールができている人同士はお互いに
- カーブやストレートといったいろんな球もキャッチ、または打ち返すことができる
- 相手が得意なボールを投げて自分も受けとることができる
ということが関係してるんですよね。
話が通じない人は、自分のコミュニケ―ションパターンしか知らないし、他の方法を知ろうという気がないんですね。
相手が話が通じない人で会話のキャッチボールが苦手な人なんだとわかれば、得意な人の方が相手に寄り添った受けとりやすいボールを投げることをしてもいいですよね。
そうすれば、話が通じない人もキャッチしようとするかも知れません。
【原因3】そもそも「会話は相手とのキャッチボール」だという定義を持っていない
もしかすると「会話はキャッチボールなんだ」というそもそもの定義を持っていない場合もあるんです。
話が通じない人は、自分の国の習慣でコミュニケーションを求める人に他の国の習慣でコミュニケーションで返すような感じです。
コミュニケーションの感覚にずれがある場合には、どちらかが歩み寄って相手のコミュニケーションパターンに合わせる必要があります。
たいていの場合には
- 立場などによって相手を立てて相手に合わせる
- 対応できる方が相手のやり方に合わせる
ことが多いですよね。
話が通じない人の場合には、この相手に合わせるというコミュニケーション方法の考え方がありません。
本来なら子どもの頃に家族との間でコミュニケーションを通して
「会話とは言葉のキャッチボールだ」
と教えられる、気がつくことが、家族と会話などで関わる経験が少なく本人の気質も内向的だった場合には、わからないまま大人になります。
【原因4】否定されることが多いため心を開きたくない
話が通じない人は、何を考えているのか言葉にすることが苦手なため、親や家族といった身近な人も理解されないことが多いんですね。
そのため親や家族といった身近な人からも否定されてきたという思いが強いんです。
そうすると
- 誰にも心を開きたくない
- 他の人に合わせても意味がない
- みんな誰もが自分勝手なんだ
- 本心を見せればどうせ否定される
と意固地になってしまう思考パターンができてしまうんですね。
その後に出会う人誰に対しても信用することはできず
「初めはファイティングポーズで構えてしまうスタイル」
ができあがってしまっているんですね。
話が通じない人が心を開いて話ができる相手とは?
話が通じないと思われている人でも、心を開いて話をすることがあります。
それは
- 相手に対して好意がある場合
- 相手に対して興味がある場合
- 自分の興味のあることに共感してもらえたとき
です。
この3つの場合に、もし相手も自分に肯定的な態度だとわかれば相手に合わせ歩み寄ることもできるんですよね。
もし、自分が歩み寄ることで相手と心を通える心地よい時間が持てる経験ができれば、話が通じない人も、相手次第では変わることもできるんですね。
そして相手に歩み寄るといったコミュニケーションができるようになれば、意固地になっていた心がほどけてきて相手を思いやり寄り添うことが大切なんだということにも少しずつ気づくんです。
話が通じない人と関わっていくためには
話が通じない人と接するときのポイントは
- 相手の興味がありそうな方向から話題を展開する
- ある程度、距離感を保った状態を意識すること
- 相手に伝えることは時間がかかることを覚悟する
- 9割は相手に寄り添っていく姿勢を見せる
- 1割は自分の思いを伝える
です。
これらをくり返して、こちらの求めるコミュニケーション方法を知っていってもらうしかないんですね。
話が通じない人の対処法
プライベートで、わざわざ話が通じないと感じる人と関わる必要はありませんが、仕事やその他の関係性の中で関わる必要はどうしても出てきますよね。
また初めは気が合ったのに、ある話題になるとまったく話が通じない人もいます。
そのようなときにも役立つ具体的な対処法は3つです。
自分の言い方が相手にわからない言葉や言い回しになっていないかを確認する
上手に会話のキャッチボールできないときには、子どもでもわかるような別の言い方で言い直してみましょう。
何回か同じ話題でやり取りすると、相手が使って話すいくつかの言葉があると思います。
できるだけその言葉を使うようにしていきます。
相手の頭にイメージが浮かびやすい言葉は、その人が使っている言葉と同じものを使用するのが良いでしょう。
話が通じない人と共感できそうな部分を見つける
コミュニケーションのおいて、相手のことを知ろうとしない限り、深く共感し合うことはできません。
もし、相手が自分に興味をまったく示していないことがわかればどうでしょうか?
何だか嫌な気持ちになりませんか。
「このお茶はおいしいですね」
のように幅広く誰にでも「そうですね」と共感できることでさえ共感してもらえないのであれば、関わりたくなくなるのが自然です。
そのぐらい、人と関わるうえでは「人と共感し合うこと」って大事なんですよね。
話が通じない人は、相手と共感できることを見つけることがとても苦手です。
その場合には、こちらの話が通じない人の興味がありそうな方向に近づけるようにしましょう。
9割を相手の興味がある話題を絡めて1割の伝えたいことを伝える
それでも状況が変わらないときには、話が通じない人の特徴の思考パターンが働いていると思っていいでしょう。
人とのやり取りにおいて、自分の好きなものや興味があることに相手と共感できることがわかれば、不思議と自分が理解されている気分になりますよね。
それは、コミュニケーションをするうえでの喜びでもありますよね。
話が通じない人、コミュニケーションが苦手な人であっても、自分の好きなもの、興味があることを認めてもらえることは、とてもうれしいことなんですよね。
このときに大事なことは、9割を相手に合わせた内容だとしても残りの1割はこちらの話をしっかりと聞いてもらうことです。
10割すべてを相手に合わせることはしない。
これが重要です。
なぜならコミュニケーションは、一方的では成立しないことを知ってもらいたいからです。
このようにして、少しずつ相手と意思疎通が図れるように、いっしょにコミュニケーションの経験を積んでいくことが大切です。
まとめ
相手に話が通じないときには、つい「自分の言い方が良くなかったのかな?」と思いますよね。
しかし言い方を変えても通じない場合には、他の理由で相手に話が通じない状態なんですね。
話が通じない人は、特別な人というわけでなく一言で言えば「心を閉ざしてしまっている人」でもあるんです。
その背景には、その人のいる環境や性格や気質も相まって、今のやり方が確立されてしまっているんですね。
話が通じない人は
- 自分の苦手としていること
- 興味がないこと
にフタをしてしまって見ようとしないのが大きな特徴です。
通常ですと違う意見や考えに出会った場合には、お互いに同じくらいずつ歩み寄っていくのが公平な感じがしますよね。
お互いを理解することができなくても、違いを認めたうえでお互いに歩み寄ったコミュニケーションをすればそれぞれに納得のいく答えは見つけることもできます。
話が通じない人は、そこに至るまでの他人とのやり取りすることを避けてきたんですよね。
どうしても関わる必要があるときには、まず話が通じない人に話を聞いてもらう姿勢になってもらうことが第一です。
そのためには話が通じない人の「好きなこと」「こだわっていること」を絡めた話が9割+こちらの「言いたいこと」「伝えたいこと」1割ぐらいになるように話をしてみましょう。
自分の興味のある話であれば、ポロっと本音を話してくれることもあります。
決して話が通じない人を否定するような言葉や態度はしないようにしましょう。
どんな人に対しても、基本は同じです。
話が通じない人には、こちらが相手に合わせる形でやり取りするのがおすすめです。
こちらばかりが相手に合わせるなんて、立場的にも納得がいかないこともあるかと思います。
そうは言っても目的は相手に伝えたいことがあるから、やり取りをするのですから、その目的さえ果たせれば結果オーライですよね。
思いもよらずに、話が通じない人からは「あなたは話がしやすい人」と思われるかもしれません。
どんなタイプの人ともコミュニケーションできるようになれば自分が苦手な人もいなくなります。
話が通じない人とも、ぜひ、コミュニケーションを試みてくださいね。