正しいことなど だれにもわからない

どこにあるかな 正解は

とにかく正解がしりたくて、気になることがあるとトコトン調べる癖がついてしまっている。

全てのことに目を通すことはムリなので、自分なりの感覚を頼りに様々な角度や立場の人の情報や意見をかたよりのないように見ているつもりです。

ある程度で区切らないとほかのことができなくなるので、ざっと流して検索サイトなどから「もうこれ以上の検索はありません」と言われたら、なんとなくの自分の中で現時点での結論を出すようにしている。

語り合おうよ 話をしようよ 現実はむずかしい

人となにかの話題について話していたとしても、本音で話しができることはほとんど無いのではないかとおもう。

ネットで匿名の場合には、普段言えないことも本音で言える人のほうが多いのではないのかな。

知識 と 情報  

一体、なにが正しい情報でなにがどうあることがベストなのか。

理想や理論、科学的なことがわかっていたとしても、人間の社会で起こっていることは人間が関わっていること。

人は、感情や状況によっていつでも同じとは限らない。

同じ人どうしであっても、やり方考え方、望むものが様々だったりする。

なにか疑問があると知識までは時間をかければ何とかたどり着ける。

そこからどうやって、よりベストな方法を見つけて、どうアプローチしていったらいいのか?

大昔からしてみても、社会のルールや常識と言われることも、どんどん変化してきている。

世の中が便利になっていくと同時にいろいろなことも変化することのほうが自然におもえる。

なのに、いちばん最初に新しいことを考えたひと。今の時代にあった新しいやり方を提案する人は、タイミングが早すぎると反発ばかりされてしまい、なかなか結果を出すことができない。

感情 と ふるまい

そう、タイミング。それから、話のもっていき方。

「こうやればいい」というマニュアルでは言い表せない。

Eテレの「知恵泉」などをみていると、今も昔も人間の感情や状況は変わらないものなんだなぁと、先人の知恵も拝借しておくとたいへん勉強になります。

そうそう、ドラマや映画、マンガや本、ゲームだって、考えようによっては、イイもワルイも全てヒントや参考になりますよね。

なにが正しいかは なかなか決められない

だけど、やっぱり

なにが正しいとか、正解はコレ!みたいなものは、決められない。

たぶん、誰にも。

たいせつなのは

ものごともイイ面とワルイ面をできる限り知ること。

たくさんの知識や方法を知っているということは、あからさまにこれが正しいアピールをしなくても自然に発信できていることにつながっていく気がします。

欲望にとらわれすぎず

「自分コレ好き」ってことをお手本に一つずつ自分のものにしていくこと。

いろんな人にとっても、長い目で見たとしても、少しでも今よりこうであったらいいなとおもう未来を描いて、身近なできることから実行していこう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする