「もっと、こうだったらいいのに」と身近にいる人を変えたいと思ったことありませんか?
そんなときに「できること」といえば
「見守ること」と「自分が変わること」でしかないように思います。
「人を変えたい」のはなぜ?
「人を変えたい」と思うときは
- 相手がつらそうにしているとき
- 失敗や間違いをしそうなとき
このような状態の人が身近な大切な人に起こっている、または起こりそうなときではないですか?
それは「相手のために何とかしてあげたい」と自分では思っているつもりでも、実際には「つらい人を見ていたくない」「失敗や間違いをして落ち込んでいる人」と一緒にいる自分が嫌だからではないでしょうか。
その背景には、相手と共に、この先「楽しく」「喜び」を感じて過ごしたい気持ちがあるからこそなんですよね。
そのときに忘れてはいけないのが、この気持ちはあくまでも自分の気持ちでしかないということです。
相手も同じように思っているかどうかはわからないのです。
「人を変えたい」と思うのはいけないことではないのですが、実際にはとても難しいことなんです。
自分の行動は、結果的には自分の脳からの指令によって行動に現れるのですものね。
そのため、自分の頭で判断した結果でしか変えることができないからです。
「どうにかしてあげたい」と思う気持ちは、実際には今、自分が不安定な相手といっしょにいることで感じる「どうにかしたい」気持ちだったんです。
「どうにかしたい」のは、今の自分であって、相手の気持ちではないんですよね。
現状、そう思っていない相手を変えることは不可能なんですよね。
自分に起こっている感情を相手と混同してしまっていることが「相手を変えたい」と思う原因なんです。
そして、変えることのできない相手(相手が望んでいない)を変えようとしてしまうんですよね。
相手が成長する喜びがあることがわかっていない
今までの人生で、自分が経験や失敗をすることでしか納得できないことってありませんでしたか?
その失敗の経験も本人にとっては実際、不安もありますがワクワクして楽しかったりもしますよね。
しかし経験済みの周囲の人にとっては、その人の行動は危なっかしいし、効率的じゃない気がして「その先の失敗がない方が相手は幸せなんじゃないか?」と、つい過干渉になりたくなってしまうんですよね。
そんな自分の感情の変化に気づいていないこともよくあります。
相手のペースがわかっていない
また、自分と他人との成長の速度は違います。
- 回り道をして道草を食うことに楽しさを感じる
- 険しい道にあえて挑んで達成感を味わいたい
- 安心していられる場所からできるだけ離れたくない
など、人さまざまに喜びや楽しさを感じるポイントは違いますよね。
自分の人生ですものね。
最終的には誰かに「こうでなくてはならない」と言われる筋合いはないですものね。
それは自分だけでなく、どの人にとっても同じことですよね。
人と関わることで、相手を不快にすることが多ければ怒られることもあるでしょうし、嫌われることもあるでしょう。
うまくいかなくても自分さえ納得できていれば、どんな経験も後悔などありません。
自分にとってムリのないペースで納得して進めることが一番ストレスはたまらないんですよね。
そのことがわかれば、人のペースに口を出す必要などないと感じるようになります。
自分のやり方しか目に入らないときがある
自分が考えていることって、自分に興味のあることだけなんですよね。
自分が楽しくしていたいと思う気持ちが強ければ、多少はめを外そうが、やっている人がいるから大丈夫という気持ちで楽しみたいでしょう。
細かいことが気になってしまい不安を感じやすい人ならば、何をするにも慎重に考えることをしてから、先に進みたいでしょう。
何かしら本人が痛い思いをしてみないと「他のやり方や考え方がある」なんて思うこともないですよね。
痛い思いを経験している人や普段から自分以外の考え方や生き方に興味をもつことができる人なら、今していることのメリットだけではなくデメリットも知っているでしょうし、想像もできます。
もし、身近に経験もなく、想像力を活かせずにいる人がいたらどうでしょう?
自分にとって大切な人が困難な目にあいそうならば、自分が思うやり方で「どうにかして教えてあげたい」「やり方を変えるように伝えたい」と思いますよね。
しかし
- 自分の納得のいくペースで進みたい
- メリットやデメリットを知ったうえで、あえてそれを選んでいる
という人もいるんですね。
大切にしたいことの基準が違う
実際に私にとっては困難だと思うことも、その人にとっては「やりがい」や「幸せ」を感じることだってあるようです。
私がメリットに感じていることをデメリットだと感じている人だっている。
ばらばらなことにメリットがあるから自分がやりがいをもっていられることには喜びを感じるし、そうでないことには、自分以外の人がやりがいや喜びを感じ役わりを担ってくれる人が現れている。
そうやって世の中が成り立っているんですよね。
そうすると、私の「こうした方がいいのに」という考え方はその人には必要のないことなんです。
相手が見せている表情は、表向きの顔なのかもしれないし、本心なのかもしれない。そのことの正解は誰にもわかりません。
価値観の相違は誰にでもある
気が合って仲良くなった同士であっても、合わない部分はどこかしらあるはずです。
そういうことがないという人がいるのなら「気にしていない」のか「気がついていない」のかも知れません。
お互いにそういったタイプの人同士であれば、多くの人と交流をもつことに「わずらわしさ」より「楽しさ」のメリットを感じやすいようです。
ちょっとしたことが気になってしまうタイプの人であれば、気が合う部分以外の違いにもすぐに気づくことになり、自分の中での折り合いをつけるのに苦労します。
どちらの気質にしても、そのこと以外の他に共通する部分があれば、交流をもつことは可能です。
ただ、共通する「楽しさ」「喜び」を感じられないと、関係を続けていくことは難しくなります。
「相手が楽しそうにしていることに文句をつけない」
これを基本とすれば、わかりやすいと思います。
どのようなやり方で「見守る」のがよいのか?
「見守る」というのは何もしないだけではなく「いつ相手の気持ちや状況が変化しても今までと変わらぬ気持ちで対応できるように待つ」ことを言います。
その間には、自分にはどのようなことができ、この状況をよくするためには何ができるのかを考えます。
相手を何とかして変えたい人がまず考えるのは、相手の思考を変えるために何らかの影響を与えようとすることです。
その思考が最終的にその人にとっての欲求にマッチしたものであって、同じ思考の中で過ごしていることさえできれば、何も問題がないことにも思えます。
しかし、個々は家族であっても別人格で、必ずしも同じ欲求が続くとは限りません。
長期的に見て、相手が自分の力で進んでいくことをイメージして今できることと言えば、余計な手出しはせずにできるだけ本人の意志に任せて見守ることなんですよね。
身近な関係においては、相手の成長をただ見守るのが周囲の人にとってもつらい状況もありますよね。
こちらの関わり合い方によって相手が変わるかどうかはわかりませんが、状況を変えていくことは可能です。
その場合には、できるだけ直接的でない方法で相手が気にしていない部分を考えるきっかけをつくることが有効だと感じています。
具体的に、できることは
- 接し方を変える
- 環境を変える
ということでしょう。
いくつかのポイントがありますので、見ていきましょう。
距離感が近くなると違いに気づくようになることも
共通する「楽しみ」や「喜び」を見つることができ、関係を深めようとすれば、今度はだんだんと見えていなかった部分にも目がいくようになるんですよね。
そのときに、どう乗り越えていくのかがポイントになります。
どちらかが、その違いが気になってしまった場合には、何らかの行動を起こしたくなるんですね。
居心地が悪く感じるからです。
その方法があからさまに、違いを指摘するようなことであれば、関係性は悪化します。
違う価値観を共有するには距離感と時間のどちらかが必要
お互いの違いが気になってしまったときには、違いが気になる部分を見ないで済む距離まで離れてみましょう。
なぜなら
- 共通する「楽しさ」「喜び」だけを共有する関係に留める
- もう少し、わかり合えるように自分の本音を話す
この2つの状況を行ったり来たりしながら、少しずつ時間をかけてゆっくりと関係を深めていく感じの方がお互いの違いを受け入れやすいからです。
距離感がある関係でいられるうちに、相手と自分の違いをしっかりと知っておくことができるのなら、その方が客観的に受け入れやすいんですよね。
しかし、実際には波長が合えば親しくなるのが自然なこと。気が合うからといって急激に親密な関係になるのは、お互いの違う部分を知らないままで、親しくなってから知ることになります。
親しくなってからお互いの違いを知ってしまえば「こんなはずじゃなかった」とか「もっと、こうすればいいのに」といった、相手と自分が同化してしまった考えが生まれやすいんです。
自分と相手との考え方に違いがある場合に、自分の意見や思いを伝えたとしても、相手が理解するのには時間がかかるんですね。
お互いの違いが気になってしまうときには、それぞれ、別々の道を歩いていたっていいんです。
少し距離をおくことで、同化していた相手のことも気にならなくなります。
同じ1年間を過ごすのであれば、感覚が違う人同士で自分のやり方が正しいと主張し合うよりも、離れた場所で相手の幸せをほほえましく思えることが温かく感じます。
離れていたとしてもです。
大切に思いたい相手につい反発してしまう関係であるのなら、お互いにそっとしておく時間があった方がいいですね。
どんなに仲良しな相手とも、長く関係を続けていくには何度かはそういった時期が訪れるものと思っていればよいのではないでしょうか。
その距離感がちょうどよい時期なんですよね。お互いに必要な人だと思っているのなら、関係は続いていきます。
いつでも、声を掛け合える状態のままでいられれば、お互いの気分がよさそうなときにまた、共通の「楽しみ」や「喜び」を感じることに誘ってみればよいのです。
どちらか片方だけがそう思っている場合や、お互いにそうでない場合には、仕方がありません。ご縁がなかったのでしょう。
あまり期待をせずに「まっ、こんなものだろう」と現実を受け入れていくことが上手になると、対人関係もラクになりますよ。
相手が他のやり方に興味を示したときが本音を伝える最大のチャンス
その人には、その人の「それでよい」と思って長い間やってきたやり方があるので、自分にとって不都合なことが起こらない限り、誰かに言われたからといって考え方や、やり方を変えることはないのです。
それが何かよくない生活習慣で改善した方がよい場合であっても、相手はその生活でこれまで楽しめてきたのですから。
私が何かをアドバイスされる立場だったのなら、まだ、何も気づいていない状態で口出しされるのは、うれしくありません。
自分が「何かが、違う?」と思ったときに、初めてそばにいる信頼できそうな人に助言を求めます。
今のやり方は「何かが間違っている」と自覚して初めて、変化することができるんですよね。
そのために身近な大切な人のためにできることは、常にいつ声をかけられてもいいように相手の気持ちに寄り添うように見守ることだけなんですよね。
見放すのではなくて、いつ声をかけられても以前のように変わらず話やすい雰囲気でいることなんですね。
相談されたり、助言を求められれば、そのときが今までの違いについての本音を伝えるチャンスです。
どこまで相手のことについて介入するのかは、その人に何かあったときにどこまでなら、一緒に考えてあげられるかによると思います。
これがいちばん効率的!「自分が変わる」とは?
自分が変われば、相手との関係性も、相手の態度も変化することがあります。
自分が変わるということは
- 自分が今までしてきた当たり前のやり方を変える
- 自分の言動を変える
ということです。
相手が変わるのを時間をかけたり距離を離して待つよりも、じつはずっと効率的で早く変化が訪れやすいです。
具体的には「相手に変わって欲しい」「こうであったらいいのに」と思っていることが受け入れられずにいる自分を受け入れてしまうのです。
そして「相手を変えることはできない」「どうにもできないことをあれこれ考えない」という事実も。
その代わり、それを受け入れたうえで、自分と相手の居心地のよい関係でいられる具体的な可能な方法をいくつか考えてみるんです。
例えば、食事のことで気になることがあるのなら
- 一緒に食べないようにする
- 席の座り方(対面ではなく横に並ぶとか)を変えてみる
- お互いに好きなものを自分で買い食事のことは干渉しない
- 相手が文句を言ってきたら「自分はそういうことは言われたくない」と伝え、自分から相手の食事に対することは一切言わない
などの具体策を考えてみましょう。
自分が行動を変えると、思いもよらずに相手の態度が変わることがよくあります。
もちろん、必ずではありません。変わらなくても仕方がない。人との関係は思い通りにはいかないものだと思っていた方が、よいでしょう。
そのぐらいの気持ちで、今後の相手と状況を見守るのが、ちょうどよいです。
親しくなると、それが当たり前と型にはめたくなりますが、お互いオリジナルのやり方を見つけていくのも、意外とたのしいものです。
そうやって、自分たちで面倒くさがらずに問題を解決していった先に、他の人とはつくれない関係性ができあがっていくのだと思います。
まとめ
身近な人との問題が浮かび上がると、つい相手を変えたくなりますよね。
そして、相手のせいにしたくなる。
そのこと自体は、いけないことではなくて自分の中だけで起こる感情としては自然な感情で否定しなくていいんです。
しかし、そこで終わらせるのではなくて、この問題は感情でどうにかできるものではないことに気づくことが大事なんですね。
生活すべてがそのこと一色ではないはずなのに、ずっとそのことを考えてしまう。
そうならないために、なるべく早い段階で、そんな自分に気づいて具体的な方法をして「相手を見守る」のか「自分が変わる」のかを選択してみてはいかがでしょうか。
この先はどうなるかはわからないけれど、タイミングが合えば何かあれば、できることは力になってあげる。
そんな関係でいれるといいですね。