自分がいる意味

「さあ、何やろう?」「どうしたい?」
好きに使える時間がある。
あなたなら、何がしたいですか?

自分だから出来ること。
私はどこに向かって行ったらよいのだろうか?
なぜ、ここにいるのか?
これでいいんだ。これいいんだ。

そう思えるようにならたら、周囲の批判など気にせず
『自分がここにいる意味』を感じられるのではないでしょうか。

生い立ち、性格、気質、外見、得意なもの、大好きなこと、生まれ育った場所、
印象に残っている出来事や景色、きっかけをくれた人や言葉、
他にもそれぞれに自分を語る上で不可欠な事実はあると思います。

私の場合は、幼いころは自分の意思ではどうにもならないこともあるのだと思っていました。
どちらかというと、周りの人を喜ばす為に、迷惑をかけない為に生きるのであって、
そのための練習や勉強なのだと思っていた。そうすることが自分の役割なのかなと。

小学生ぐらいから、楽しいこと、気になることいろいろなことに興味が出てきた。
勉強はそれほど楽しいと思わず、出来ない分からないことがあまりにも多くいつも、
「なんで?」「どうして?」ばかりの勉強に興味のない子供でした。
そんなことが多すぎて親は不安だったようで、親にはよく「勉強しなさい」と言われたし、
私とのやり取りに、かなり疲れていたようだった。
勉強のやり方や、やる意味が全く分からない。
色々怒られることも多かったので、益々、反発もあってかやる気は出なかった。

やってみたいと言い出した習い事は、いくつか経験させてもらったが、
楽しさややりがいを感じることは出来なかった。
どちらかというと、やめると言うと怒られるからやめなかった。

唯一、小学校か中学校の時の先生に、絵を褒められたことがすごく嬉しくて、
今でも自分にとって大切な出来ごとです。
決してきれいな絵ではなく、汚い部分も見たままに描いたものでした。

絵を描くとは、「これでいいんだ。」と。
初めて自分で決めた行動を「これでいいんだよ」「これがいいんだよ」と
先生に言っていただいたようでした。

「楽しいことだけ出来たらいいのになぁ」なんて考える時が度々あった。

高校3年の時、担任から進路の話が出るまでは、何にも考えていなかった。
親の保護のもと、自分がどうやって生きていくかなんて考えたこともなかった。
何かあれば現実から逃げていた時間のが長かったのかもしれない。
あるとき、絵を褒められたことを思い出し、そこに向かって行きたいと思い始めた。

両親は将来のことを心配して、その考えを快く思ってもらえなかった。
それを覆すような情熱も自信も根拠も何もなく、
現実を思い知らされた。

そう、勇気もなかった。
どこか少し意地を張って、やけになっていた。

一旦、自分の気持ちは忘れて、社会とは、大人になるとはこういうことなのかと。
納得したつもりで、やりたいことをやれる為にお金を稼ごうと思ったのでした。
会社での生活や休日などもそれなりに楽しく過ごしているつもりでしたが、
いつのころからか、休みの日さえも心から楽しめない自分に疑問を持ち始めました。

「自分は何のためにどこに向かって行けばいいのだろうか?」
「私はどうしたいの?」

そこから手探りの自分探しが始まった。

周りの意見も気にしつつ色々やってみても、これも違うあれも違うと、
何か違うことには気がついた。

今度は先を恐れず周りの意見を気にせず、自分の素直な気持ちを優先して思いっきり自分なりの
わがままを通すことにした。

親や身近な人に「わがままだ」「自分のことばかりではダメだ」「何をやっても続かないのでは?」
と言われても、今までと何も変わらないし自信もないけど、今やるしかないと思った。

今まで人生の節目節目で、自分のやっていることはあっているのか?これでいいのか?
と何度も考えることがある。

振り返ってみると、つまらないこともやりたかったことも、全て自分が選んできた道だ。

これからは、今まで積み重ねてきた失敗や喜びをも活かして、
少しでもご機嫌な時間を共感しあえる人達と、環境を大切にしながら行きたい。
共に楽しみ喜び会える関係を大切に。

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