感動は させられるもの ではなく するもの

喜んだり 喜ばせたり 何かへん!?

幼稚園での子どもの出し物発表会のときでした。

きっと先生は、練習をがんばった子どもたちをずっと見ていたので、そういうがんばりを認めて楽しんでいる親の姿を子どもたちに見せたかったのだと思います。

子どもたちが会場に入場する前に、先生からお願いがありました。

「保護者のみなさま、本番では、ここシーンで大きく拍手をお願いします、こんな感じです」

パチパチパチ~と先生がやって見せて

「では拍手の練習してみましょう」とおしゃって、保護者が手をたたくと「もっとこうやって、大きくお願いします」という訳です。

「このシーンは、みんながんばったので特にたくさんよろこんで盛り上げてください」と。

そして、子どもたちが入場し本番が始まりました。例のシーンになり先生は「はい、今です」とは言わないが、身ぶりで「今!ここ」みたいな感じでわたしたち保護者に指示しました。

先生のやりたいことは、わからなくもない。

わたしだって、子どもの喜ぶ顔は見たいです。

わたしはといえば、その状況で一気に気持ちが冷めてしまいました。

なぜか、心からたのしく感じられなくなっていました。

たぶん事前に「がんばったのでたくさん拍手をお願いします」ぐらいであれば、「了解しました!」と素直に思えた気がします。

子どもたちの出し物が始まって、楽しくてかわいくて見入っているときに、

今まさに心が動きそうってときに、

<「はい、今です」とは言わないが、身ぶりで「今!ここ」拍手~みたいな・・・>

ときたものだから。。

「あ~あ。」って気分になってしまったのかも。

先生が悪いわけではない、自分が気にしすぎなのかもしれない。

ただ正直、自分の気持ちで純粋に見ていたかったです。

その上で、自ら心からの拍手をしたかった。

ほかの保護者の方は言われた通りにしていたのか、心から楽しんでいるのかは定かではないけれど気にしているようには見えなかったですが。。

先生も含め、「こういう時はこうするものでしょ」って気持ちが共通していた人が多かったから、何も感じなかったのかなと。

ふと思ってしまいました。

こういうことって、大人になるにつれて多くなるような気がしてたんです。

そんなことがあって今回の記事を書いてみようと思ったのでした。

なぜ そう思うのか

今の話しだけをみると「別にいいじゃない、そういうもんだよ」っていう方もいるのではないかな。

わたし自身もそういうこと、身におぼえがあります。

例えば、誰かが店の店員さんの態度が良くないと怒っていたとしても、そういうことには

「まっ、そういうことってそんなもんだし」くらいで済ませられるかも。

いちいち深く考えていたら、時間も足りないし疲れてしまう。

だから、自分にとって「ま、いいか」で済ませられることは何となく簡単になる方を選んでしまう。

自分にあまり興味のないこと関係のうすいことでは、ついつい今まで経験してきたことにあてはめて疑いもなく同じと判断してしまったり。。

当りまえのように目にしてきたやり方が正しいかもって、勝手に思い込み判断してしまうとか。。

こういうときは、どういう心境なのか気になり

調べてみました。

ありました、ありました。

コレです!

『 認知バイアス 』

例えば

  • 偏った考え方になる
  • 誰かの意見に影響される
  • 先入観をもつ  

などのようなことをいい

脳科学、心理学の用語だそうで、他にももっといろいろあるようです。

 

 

認知バイアスとは

脳が無意識にしてしまう「思考のクセ」

出典元:講談社BOOK倶楽部 人の考えはなぜ偏るのか?池谷先生が出題「ココロの盲点」テスト

でもあるので、誰もが無意識に行っていることがあるようです。

なので、日常の全てことを深く考えてる訳にはいかないので、さらっと済ませたいときは特に、バイアス(考えの偏り)がかかりやすい状況になるんですね。

感動は『押し付け』てほしくない

「感動」って、英語では「move」

心が動くって意味するんですよね。

もし、相手から

「感動」を求められるとどうなるか?

気持ちは冷めてしまいます。

なにか嫌な気分になりました。

たのしみたくても、心が拒否しているような。

こちらを誘導されているような、相手がこちらをコントロールしようとしているような。

その表現をどのように言ったらいいのか

『 感動の押し付け 』

そう、こういうこと。

ちょうど、同じような思いで共感できる記事がありましたので、言葉を引用させていただきました。気になる方は下記の記事をぜひ読んでみてください。

「感動の押し付け」の行事は、やめた方がいい。

引用・出典元:ロクハンのブログ

例えば、結婚式、卒業式、運動会、発表会、試合に優勝したり、コンサート、舞台、ドラマや映画を見たとき、芸術に触れたときなども、などなど。。

以上のようなときは、一般的に感動できるものって思っていませんか?

普段、当りまえに思ってしまっていることに「バイアスがかかっていないかどうか」、「感動の押し付け」をしていないか考えてみることは大切だと思います。

あなたのたいせつにしたい気持ちは何ですか?

今回のことに関しては、たまたま自分自身が、たいせつにしていたい部分だったということなのですが、他の方にはほかの人のたいせつにしたい思いがあるのではないでしょうか。

もしかしたら、それが当たりまえと思えない人の方が、よりそのこと柄に関して、他の人より強い思い入れをもっているともいえるのかもしれません。

あなたのたいせつにしたい思いは、なにかありますか?

カタチだけのことなら やらないほうがいいこともある

カタチだけのことに、ほんとうの感動はありません

感動は『求められたり』『押し付けたり』するものではないはずです。

誰もが、それぞれのペースでココロを揺さぶられたときだから、感動できるんです。

そこを勘違いしてもらっては困ります。

そもそもの目的は、何なのでしょうか?

『素敵な思い出』をつくりたい気持ちはたぶん、みんな同じです。

ですが、個々の気持ちや家庭環境などの違いまである中、様々なことを一つにまとめて『素敵な気持ち』にすることはできないと思います。

『冷めた気持ち』

『悲しい気持ち』

になってしまう人がいることも周りを見てみれば想像はつくと思います。

そうであれば、そこまでやらなくていいこともあるはず。

そういうイベントで楽しむことをやめようというわけではなくて、そういうイベントのやり方によっては悲しむ人もいるということです。

いろんな環境のお友達と様々なことを乗り越えながら、小さな子どもたちが過ごし成長してきた日々を思うだけで、親として胸がいっぱいになります。

それだけで十分なんです。

大きな演出をつければつけるほど、嘘っぽく感じます。

きっと、子どもたちの中にも違和感が感じる子もいるんじゃなかな。

感動は「させられる」ではなく「してしまう」でいたい。

多様な人がいることを前提にした配慮は忘れずに考えていくことで、みんなが人が心からの笑顔でいられると良いですね。

 

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